認知の風 その5 上京

 母を東京に連れてくる日。実家に戻った私は約1週間分の服や必要なものを荷造り。父も一緒に連れていかないとと、幸い小さかった仏壇もなんとか段ボールに収納できて、お線香やらも一緒に荷造りしました。段ボール3箱分の量だったかな。東京の家に基本的なものはあるわけで、食器とかで持っていくものもないし、実際服くらいではありました。冬でしたが、春物や夏物も一通り荷造りしました。父のお位牌は風呂敷に包んで一緒に飛行機で移動します。
 以前から東京に住む?なんていう話をしたことがありましたが、とにかく母はイヤがっていたので、まずなんていって連れてくるかが課題でした。東京に遊びに行こうしか正直いいようもないので、そういいましたが、それでもきっと「どうして東京に遊びに行く必要があるの?」とかなんとか、絶対にイヤがられるだろうなと覚悟して臨んだのですが、あれまあ、なんだかあっさり「一緒にいくの? うん、わかった。」と、なんでも「はいはい」と私のいうことを聞いてくれるんですね。静かでよかったーと思いきや、これは何も考えなくなってきている認知症が進行している証でした。
 夜の飛行機になってしまったので、飛行機に乗る前に空港で夕食。カキフライの定食を食べました。普段お菓子やロクなものを食べていなかった母は、何を食べても美味しい美味しいといいます。正直味付けとしては普通の定食だったとは思いますし、塩辛いつけ合わせなんかもあったので、どうも味覚がおかしいようです。ご飯がおかわり自由だというと、おかわりするといって、カキフライだけでも結構なボリュームなのに、ご飯をお茶碗にしっかり2杯も食べました。当時の母は体重が36㎏しかないのにです。満腹中枢も正常に機能していないようでした。案の定、ご飯を食べて30分ほどして、お腹が痛い気持ち悪いと言い出しました。もうすぐ飛行機に乗るのにどうしたものかと焦りましたが、胃薬をもっていたので飲んでもらってトイレに行ってもらってなんとか収まったようで、無事予定通りの飛行機で羽田空港に到着しました。
 東京の家は2階建ての2LDKの間取りで、1階がLDK、2階に6畳の部屋が2つあります。南側でベランダがついている方の和室が空いていたので、そちらを母の部屋として過ごしてもらうこととしました。父の仏壇も和室にセッティングです。
 こうして母を含めた3人での東京での生活がスタートしました。2020年11月のことでした。
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