阪神淡路大震災

 阪神淡路大震災から27年。私も当時は若かったですねー。
 当時私は震度5強の地域にいました。朝寝ていたらゴーっという地鳴りが聞こえて目が覚めました。「なんだ? なんか音がした?」って感じ。そしたら大きな縦揺れで体がバンっと浮き上がってびっくりする間もなく、小刻みな激しい横揺れがきました。当時飼ってた猫が隣にいたので咄嗟に抱きしめてうずくまったため、周りが見えずただ揺れが収まるのを布団の中で待っていました。うちは古い家だったので家が崩れるーと思う揺れだったのですが、必死に目を閉じてしまっていて周りを見る余裕はなかったですね。ちゃんと見てればいいのに、私って怖がりだったんだと思う瞬間です。
 揺れが収まって恐る恐る手を伸ばすと、ん? 何かある!? ヤバい、ほんとに家が崩れた!?と慌てて目を開けると、姿見が倒れてきていました。低いシングルのパイプベッドで寝ていたので、ベッドのヘッド部分っていうんですか。そこで止まってはいて私の上にまでは倒れてきませんでした。ただ結構重い鏡なのでベッドヘッドがなくて私の上に直接乗っかっていたら、ケガしてたかもです。危ない危ない。
 家は幸い崩れてはいませんでした。棚の上の物が色々落ちたりはしたものの、それほどの被害もありませんでした。隣のおばあちゃんちでは、いくつかグラス類や食器が割れたそうですが、これまた高価なものばかりが割れたそうです。高い食器は薄かったりするからなんでしょうね。おばあちゃんが嘆いていました。
 うちのまわりの家も特に崩れた家はなく、外に出てちょっと安心はしたものの、なんだかすごくイヤな予感がしていました。地震なんてほとんどなかったし、地盤は固いと思っていたのにこれだけ揺れたということは、相当大きな地震だったのではないかと。ものすごく被害が出るのではないかと。そう思うと急にとにかく大勢の人に会いたい!と思いました。朝6時半、とるものもとりあえずで家の車で会社に行きました。途中、橋を渡るのですが、橋は少しひび割れもしていました。帰りに同じ橋を通ろうと思ったら通行止めになっていて、あらら、怖い橋を気にせず渡っていたんだなあと思いましたが、まあなんのその。
 会社に着いて3階の事務所に上がると、まず床が水浸し。向かいのトイレから水が漏れだした様子。さらにドアが開かない。出勤してきた先輩と一緒になんとかドアをこじ開けたところ、キングファイルやらパソコンやらモニターやらがとにかく床に散乱していてそれがドアを塞いでました。水浸しなのもあって、キングファイルはもうベチャベチャ。正直思ったこと。「これ、誰が片付けて掃除するの? 私らでしょうねえ。最悪。」その後勿論掃除しました。紙の書類も捨てずに増えすぎていたので、ある程度捨てることになって案外よかったかもです。片付けたあと、あの書類がない!という声は3回程度聞いただけにはとどまりました。たった3回。小さい小さい。机の上のモニターはかたっぱしから床に落下していたのですが、唯一、キャスター付きの台に乗っているものは落ちていないんですね。キャスター部分で揺れを吸収するからで、これが免振構造の原理かと納得しました。
 事務所には40人ほどが勤務していたのですが、この日出勤してきたのは3人。交通手段がなく出勤できない上司と電話がつながって、先輩が電話で報告する際に、事務所には3人いると報告するわけですが、「男性2名と奇特な女子社員が1人。」と説明。私、奇特な女子社員? まあ交通機関も止まっていて誰も出勤できないような状況で出てきてんですから正しい表現かと納得はしました、はい。
 幸い自宅は電気、ガス、水道のライフラインも止まることはなく、無事に生活はできていましたが、近所のパン屋さんからパンが消え、スーパーから食品が消えました。そういう普段と違うことは怖かったです。水道が止まった地域の友達と1週間後かな?に喫茶店で会ったのですが、そのときの友達の言葉が印象的でした。「喫茶店に入ったら普通に水が出てくるんよ。その水を見て涙が出た。」と。
 大事な方を亡くされた皆様には心からお悔やみ申し上げます。皆が普通に幸せに暮らせますように。
 写真は神戸市立王子動物園のプレーリードッグです。優雅にくつろいでおられて何よりです。
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