認知の風 その18 母と一緒に笑うために

 母が東京にきてから3年、認知症と診断されてから5年が経った頃のお話。変わらず健康的な生活は続けているものの、この頃から少しずつ理解力の衰えを感じるようにはなりました。記憶力はそんなに変わらない感じなんですが、曜日で並んでいるお薬入れを見ても、お薬が曜日で並んでいるというのがわからず、平気で違う曜日のところのお薬を飲もうとします。新聞に掲載されているクイズを見ても、問題の意味がわからないということも増えてきました。着替えを一式準備していても、上着の上に下着のシャツを着たりすることもあります。パジャマを着替えてといって、パジャマを脱いでもまた脱いだパジャマを着ようとしてみたり、朝起きたらパジャマから洋服に着替えるということ自体をどうも理解できていない時があるように思います。着替えてと言わないと着替えない日も増えてきました。
 平日昼間は私もでかけていることが多いので、冷蔵庫に昼ご飯を準備しておいて、テーブルに「お昼ご飯は冷蔵庫です。」と書いておいてあっても、いつまでも食べなかったり、食べようと電子レンジに入れたまま忘れてしまったりということも増えてきました。平日昼間は毎日家事代行さんに入ってもらうようになったのもこの頃からです。
 そしていいか悪いかはなんともですが、ニコニコすることが増えてはきて、何に対しても楽しそうにはするようになってきました。何かいうと怒鳴り返すのはあいかわらずですが、見るもの見るもの初めてだからか、例えばミカンを出しても「ミカンちゃん! 久しぶりに食べるわねー。」とか、明るいんです。私が楽しく生活しようと毎日のようにいっている効果があるのかもですが、そういう母を見ても一緒には笑えない自分がいます。病気が進行している影響もあるからとかそういう理由ではなく、単に母との生活を喜べていない自分がずっといるんです。仕事から疲れて帰ってくると、新聞があちこちに散乱しているし、トイレのタオルがなくなっていて水でびちゃびちゃになっているとか、家に帰ると疲れることばかりです。母が笑っている内容がちっとも面白くない、私が笑う内容ではない、ということもありますかね。
 本当はそういうことを思わずに一緒に楽しく生活すればいいんでしょうね。散らかしたりめちゃくちゃするのは病気のせいであって、それにイチイチ腹を立てていたらそりゃあ身が持たないですよ。風邪をひいている人が咳をしても別に腹はたたないじゃないですか。なのに認知症の人が、モノを元の場所に戻せなかったら腹をたてるっていうのは、考えるとおかしな話ですよね。
 いよいよ年末でもうすぐ新しい年が始まります。雨降って地固まる。来年は母と一緒に楽しく笑って過ごせるようにしていきたいと思います。
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